「安打製造機」の異名で知られ、プロ野球史に数々の記録を残した張本勲さん。
2026年9月9日に86歳で亡くなり、妻や娘など家族構成にも改めて関心が集まっています。
この記事では、張本勲さんの家族構成や経歴・実績、王貞治さんや関口宏さんらの追悼コメントについてまとめます。
張本勲の家族構成は?
張本勲さんは現役時代から長くメディアに出演してきましたが、家庭について詳しく語る機会は多くありませんでした。
そのため、妻や子供について公表されている情報は限られています。
一方、過去の本人の発言や番組で紹介されたエピソードから、妻がおり、複数の娘に恵まれていたことが確認できます。
妻は一般女性
張本勲さんの妻は、一般女性とみられています。
名前や年齢、顔画像、職業など詳しいプロフィールは公表されていません。
張本さんは家族を積極的にメディアへ出す人物ではなかったため、妻についての情報もほとんど明かされてこなかったようです。
ただ、現役時代の家族とのエピソードは残されています。
張本さんは試合で打てなかった日の夜、自宅で突然バットを振り始めるほど野球に打ち込んでいました。
そんな姿を家族に見せないよう、妻や幼い娘たちとは寝室を別にし、別の部屋で素振りをしていたといいます。
野球には非常に厳しい姿勢を貫いていた張本さんですが、家庭では妻や娘を気遣う一面もあったことが分かります。
子供は娘が複数いる
張本勲さんには娘が複数います。
過去に紹介された現役時代のエピソードでも「娘さんたち」と表現されており、少なくとも2人以上の娘がいることが分かります。
ただし、娘たちの名前や年齢、現在の職業などは公表されていません。
著名人として活動していると確認できる情報もなく、一般人として生活している可能性が高いとみられます。
家族のプライバシーを守るため、張本さん自身も詳しい情報を明かさなかったのかもしれません。
母親・兄・姉と過ごした幼少期
張本勲さん自身の家族については、戦争と原爆を抜きにして語ることができません。
張本さんは1940年6月19日に広島県で生まれました。
5歳だった1945年8月6日、広島への原爆投下を経験しています。
自宅は爆心地から約2キロの場所にあり、張本さんと2歳上の姉は母親に守られて助かりました。
しかし、6歳上の姉・点子さんは爆心地近くで被爆。
全身に大やけどを負い、その後亡くなっています。
張本さんは後年、当時10歳上の兄から姉が亡くなるまでの様子を聞き、母親や姉を思って泣いたことも明かしています。
長い間、被爆体験について多くを語らなかった張本さんですが、晩年には自身の経験を伝え、戦争のない社会を訴える活動にも力を入れていました。
張本勲の経歴は?
張本勲さんは、戦後のプロ野球を代表する左打者として長く活躍しました。
| 名前 | 張本勲(はりもと いさお) |
|---|---|
| 生年月日 | 1940年6月19日 |
| 出身地 | 広島県 |
| 出身校 | 浪華商業高校 |
| ポジション | 外野手 |
| 投打 | 左投左打 |
| プロ入り | 1959年 |
| 現役引退 | 1981年 |
| 野球殿堂入り | 1990年 |
高校時代は大阪の強豪・浪華商業高校でプレー。
1959年に東映フライヤーズへ入団すると、1年目から新人王を獲得しました。
その後は東映、日拓、日本ハム、巨人、ロッテと渡り歩き、1981年まで23年間にわたり現役を続けています。
引退後は野球評論家・解説者として活躍。
特に「サンデーモーニング」のスポーツコーナーでは「喝!」「あっぱれ!」のフレーズで知られ、現役時代を知らない世代にも広く知られる存在となりました。
張本勲の現役時代の実績は?
張本勲さんは、現在でも日本プロ野球史に名前が残る大打者です。
特に際立っているのが、23年間で積み上げた通算3085安打という記録です。
| 通算試合 | 2752試合 |
|---|---|
| 通算安打 | 3085安打 |
| 通算本塁打 | 504本 |
| 通算打点 | 1676打点 |
| 通算打率 | .319 |
| 通算盗塁 | 319盗塁 |
| 首位打者 | 7回 |
| ベストナイン | 16回 |
| MVP | 1回 |
1980年5月28日には、日本プロ野球史上初となる通算3000安打を達成しました。
最終的な通算3085安打は、日本プロ野球歴代最多記録となっています。
さらに504本塁打を放ちながら319盗塁も記録。
首位打者7回、ベストナイン16回など、安打数だけでは語れない圧倒的な成績を残しました。
1990年には野球殿堂入り。
「安打製造機」と呼ばれた打撃技術は、長いプロ野球の歴史の中でも屈指のものだったといえるでしょう。
王貞治が張本勲を追悼
張本勲さんの訃報を受け、プロ野球界からは相次いで追悼の声が上がりました。
中でも注目されたのが、同学年であり、巨人でもともにプレーした王貞治さんのコメントです。
王さんは張本さんが亡くなったことについて、体そのものが悪いようには感じていなかったとして、突然の知らせに驚いたことを明かしました。
さらに現役時代を振り返り、
「2人で同い年でね。頑張ってきて、セとパで」
とコメントしています。
王さんはセ・リーグ、張本さんは主にパ・リーグで活躍し、ともに同じ時代のプロ野球界を代表する打者でした。
1976年に張本さんが巨人へ移籍すると、王さんとは4年間チームメートとしてプレー。
日本球界を代表する2人が同じユニホームを着て戦った時代は、多くの野球ファンの記憶に残っています。
関口宏も張本勲を追悼
長年「サンデーモーニング」で共演した関口宏さんも、張本勲さんを悼むコメントを発表しています。
「頑固ないいおじさんでした。喝の名人でもありました。」
と、張本さんらしい言葉を交えて振り返りました。
張本さんは1990年代初めから2021年12月まで同番組の「週刊御意見番」にレギュラー出演。
その後も不定期で番組に登場していました。
関口さんとは長年にわたって番組を作ってきた間柄だけに、短い言葉ながら2人の関係性を感じさせるコメントとなっています。
上原浩治や球界関係者からも追悼コメント
張本勲さんの死去には、現役・OBを問わず多くの野球関係者がコメントを寄せています。
上原浩治
「サンデーモーニング」で張本さんと共演してきた上原浩治さんは、「喝!」や「あっぱれ!」について、すべて野球への深い愛情から生まれた言葉だったと振り返っています。
厳しい発言で注目されることも多かった張本さんですが、身近で接していた上原さんには、その根底にある野球への思いが伝わっていたようです。
新井貴浩
広島カープの新井貴浩監督も、張本さんについて「本当に愛情のある人」と振り返っています。
さらに「すごく優しい大先輩でした」と語り、表向きの厳しいイメージとは異なる素顔についても明かしました。
日本プロ野球名球会
日本プロ野球名球会も、創立メンバーの一人だった張本さんを追悼しました。
通算3085安打をはじめとする現役時代の実績だけでなく、野球教室やイベントを通じて次世代の育成、野球の普及にも貢献してきたことを紹介。
長年の功績に敬意と感謝を表しています。
張本勲は2026年9月9日に86歳で死去
張本勲さんは2026年9月9日午後5時ごろ、東京都内の病院で亡くなりました。
86歳でした。
亡くなる約1か月前には東京ドームで行われたイベントにも参加し、代打として打席に立っています。
そのため、突然の訃報に驚いた野球関係者やファンも少なくありませんでした。
現役時代には圧倒的な打撃成績を残し、引退後は厳しくも愛情のある「ご意見番」として野球界を見守り続けた張本さん。
王貞治さんや関口宏さんをはじめ、多くの人物から追悼の声が寄せられていることからも、その存在の大きさがうかがえます。
まとめ
今回は、張本勲さんの妻・娘など家族構成や経歴・実績、王貞治さんや関口宏さんらの追悼コメントについてまとめました。
張本さんには妻と複数の娘がいますが、家族は一般人とみられ、名前や年齢など詳しいプロフィールはほとんど公表されていません。
プロ野球選手としては通算3085安打、504本塁打、首位打者7回など、日本球界を代表する記録を残しました。
そして2026年9月9日、86歳で死去。
王貞治さん、関口宏さん、上原浩治さん、新井貴浩監督など多くの関係者から追悼の声が寄せられています。
「安打製造機」として、そして引退後は「ご意見番」として長年プロ野球界を見守ってきた張本勲さんの功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。

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